各種手続き+去り際の実験ラッシュ。
僕は必ず実験参加者に謝金を出すようにしていて、曖昧な感情取引に頼るのは嫌いな立場。
学内発表で終わる卒論レベルならともかく、研究をするひとはそのデータを使って職を得たり次の研究資金を得たりするわけで、そのデータの取得に対して払う謝金の確保に努力を惜しむのは、研究者としての姿勢ではないと思ってる。心理学の世界で扱うデータは、動物や薬品を使う実験ではないので、確かに「友達頼み」でできてしまうけれど、それは甘えじゃないかな。
ところが研究者の意識もだけど、機関の会計システムも「不正を防ぐ」を掲げて手続きが煩雑になっていて、(今の大学は特に)形式的なところに無駄なコストが掛かっていたりする。研究者側はそれに対して「研究に時間を割きたい、やっぱり謝金はやめよう」という思考に陥りがちで、負のフィードバックがかかっていく…というところまで考えて解決策を考えていかないと、結果的に機関の存在価値自体を下げると思うけれど、どうなんだろう?
ちょうどニュースで不正利用の話が出ているけど、根源は研究費の「使いにくさ」にあるように思う。使いにくいから「表上こう書いて…」という思考が習慣化して、いつしか「この費用をあれに使うなら、こう説明すればいい」っていう文面マジックに気の緩みが囚われてしまう。
☔
引越しの準備で家の整理してたら、学部時代のレポートが出てきた。
読み返すと「あれ?この程度しか考えてなかったの?」と思うところもありつつ、逆にエッジの効いた考察に唸らされたり。にんげんって変わるものだなぁ、なんて。